今日のエッセイ-たろう

音に溢れた生活の中でみつける小さな音。 2025年2月18日

年に一度だけ、厨房から音が消えることがある。電気設備の点検のために一時的に停電すると、全ての冷蔵庫が止まる。普段は意識することもないけれど、静寂が訪れてはじめて日常が生活音に溢れていたことに気がつく。

産業革命以降、おそらく日本中の生活音は変わっただろう。町には自動車などのエンジン音が聞こえるようになり、ラジオやレコード、テレビなどの音がいつでも聞こえてくるようになった。ほとんど気にもとめない冷蔵庫が発するモーター音も、最初の頃はうるさく感じた人もいるだろうか。そういえば、初期の頃は冷蔵庫も季節家電として扱われていて、現代で言えばエアコンのように必要なときだけ電源を入れていたそうだ。常時稼働させるという概念もなかったのだろうけど、モーター音をうるさく感じていた人もいたのかもしれない。

ぼくらはもう、近代的生活音から抜け出すことは難しい。

真と静まり返った土間に降り立つ。草履を履き、歩を進める音。衣擦れの音は今よりもずっと鮮明に大きく感じられたことだろう。

火を起こし、薪がパチパチと小さな音を立て始める。鍋に張った水は、かすかな音を立てて湯気を上げ始める。弱火で野菜を炊く音は、擬態語ではなく本当にコトコトと音を響かせていたことだろう。

個人的にはあまり興味をそそられないのだけれど、ASMRという生活音を聞くことができるプログラムがある。もしかしたら、近代社会の中に埋もれて聞こえなくなってしまった音を求めているのだろうか。人間のそばにある音は、社会や文化に影響を与えてきた。それは、きっと現代人には想像しにくいものなのだろう。

平安時代の文学作品などに目を通すと、遠くの音も近くに感じていたと気付かされる。通い婚だった時代、夜になって男性が女性の元を訪れる。戸を挟んだ向こう側にいる女性は、もう寝てしまっただろうか。声をかけようかと逡巡していると、来訪に気がついた女性がほんの少し体を動かして衣擦れの音を届ける。起きていますよ、グズグズしていないで入っていらっしゃい。そういうメッセージだという。

遠くの小さな音が聞こえる。これは現代人にとって驚くべき状況だ。というのも、聞こえている音質そのものが違うだろうと想像するからである。

例えば、小さな虫の存在。蚊の羽音は耳の周りを飛び回るときに「ぷぅーん」と聞こえてくる。ぼくらが聞くことができるのはこの状況をおいて他にはない。けれども、少し離れたところを飛び回る蚊の羽音は、これと同じ音色だろうかと疑って良い。遠くの花火の音がパラパラと乾いた音に聞こえるのと同じで、違って聞こえていたと考えるほうが自然じゃないかと思うのだ。

蚊の羽音は「か(くぁ)ー」だから、蚊と呼ばれる。本当かどうか知らないけれど、そんな話を聞いたことがある。もしかしたら、今でもそのように聞こえるのかもしれないが、それを確かめるにはなかなか手間のかかる時代である。

天井の高い石で囲まれた空間。銭湯や教会などでは、音がよく響く。風呂の鼻歌はなんだか心地よいし、モーツァルトの奏でるチェンバロの音はよく響いただろう。その代わり、現代音楽のようなビートは向かない。ドラムの音が反響して乱雑なリズムを生み出してしまうからだ。こうした音楽は、反響の少ない環境でなければ成立しない。屋外であったり、木材や布に囲まれた空間。そうして、静寂と音の輪郭が浮かび上がってくる。

きっとぼくらは反響音の中で生活することは出来ないのではないか。ちょっとした衣擦れの音が反響してしまうと、心がどうにかなってしまいそうだ。伝統的日本家屋は木や草や布などにかこまれているし、他の国でもやはり庶民の住宅は木造が多かったと聞く。欧州の貴族階層は石の宮殿に住んでいたというけれど、そこには絨毯やカーテンなどの調度品が多く使われていて、それらが音の反響を抑える役割を担っていたのだろう。

ぼくらは理解を深めようと思ったら言葉だけでは難しい。茶の湯を知りたかったら、本も読むけれどそのものを体験する。料理本やグルメ番組で紹介された料理は、実際に食べてみるまでその料理のことを理解できない。

同じように、歴史上のいろいろなことを言葉や絵で学んでも理解したことにはならず、本当はその生活を体験するしか無いのだろう。そんなことは実際には不可能だから、再現したり似ていると思える場所を訪れたり、史跡を巡ったりする。やはりそれと同じで、当時の生活をなるべく克明にリアリティを持って想像するというのも、理解を深める方法の一つだと思っている。

「まるでその時代に行ってきたように語る」

以前、番組のリスナーさんからこうしたコメントを頂いたことがある。もちろん、タイムスリップなどできない。だから、一見食文化とは関係なさそうにみえることも含めて日々の暮らしを想像して、もしその世界に生きていたら何を見て、何を聞いて、どんな匂いを嗅いで、どんな会話をしていたのだろうと、空想の世界で生活を疑似体験してみるしかない。

歴史資料は文字と絵、道具、建物などである。文字は、自覚的に意識したものしか残らないという特徴がある。まるで無意識の日々の暮らしは、その痕跡をわずかに漂わせるだけだ。文字では伝わらない「感覚」を「感じ」取りに行く。そんな姿勢が必要なのだろうと思っている。

今日も読んでいただきありがとうございます。いまは本当に多くの音に包まれた世界なんだよ。あまりに多くて、元々あった音が埋もれていく。庭の小さな花が、周囲にお生い茂る草木に埋もれているみたい。ちょっとかき分けてみると、そこには確かにそれがある。そういう小さなことも大切な物語の一部なんだ。食文化っていうのは、そうした小さな物語がたくさん積み上がっているのだよ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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