今日のエッセイ-たろう

なんでも新しければ良いってものじゃない。新規性は思考の結果。 2023年10月26日

新規性を問われる場面がある。会社の事業、起業して投資を得る時。音楽や絵画などのアートの文脈でもそうだし、スポーツや旅行、政策などなど。明確な評価軸として新規性が語られることもあれば、雰囲気ということもある。今までとは違うことが試されるのだけれど、それは本当に良いことなのだろうか。

現代の社会で、どこかうまくいっていないところがあるとする。今までのアプローチではうまくいかなかったから新しい方法で挑戦する。そう言うと、たしかに新規性は重要か。だけど、うまくいっていないのは、方法だけが問題なのかという問いが残る。人的な問題や、仕組みのほころび、単純に量が足りないだけということもある。

課題があって、それを解決しようと必死に考えた結果として、新しい取り組みになるということはある。もしかしたら、既存のやり方のままリソースをどうやって増やせばよいかということを考えるかもしれない。新規性が問われるのは、結果として新しいものになったかどうか、ってことじゃないかと思うんだ。

言い換えると、目新しさを目的に設定する、ことには危うさがあるといえる。

ビジョナリー経営とか、未来からのバックキャストとか、いろんな言い方がある。「こうありたい」という未来の姿があって、それを実現するためにはどうすればよいだろうって考える。それはたいてい新しい社会。歴史の何処かに似ているとか、良いところを取り入れようとはするけれど、過去とは明らかに状況が違うから、新しい社会になる。その「新しさ」と、事業の「新しさ」に引っ張られているのか。それとも、もっと単純な話なのだろうか。ぼくらは「斬新だね」という言葉を褒め言葉に使いたがる生き物ということもあり得る。

会社の事業を考える時も、観光政策などの提言をする時も、やっぱり新規性を意識してしまう自分もいる。理由のひとつには、新しいものの方が儲かるような気がするということがある。それも錯覚なのだろう。古典落語の名手は、新規性のない話を誰よりも面白く、誰よりも豊かに演じる。

新しい事業を思いついたと思っても、実は既に社会に実装されていることもある。既に存在していて、社会に貢献しているのに、ただ自分が知らないだけ。これは、事業に限らず料理のレシピでも度々出会う。だからといって、必ずしも勉強不足だとは限らない。一定の認知があるのならば勉強不足という子になるだろうけれど、実装が限定的だということもある。

既に社会実装されてはいるけれど、それは思いついた事業とは類似しているだけで、想定しているターゲットにリーチしていないとか、横展開してもマッチしないという場合もある。

事業が成立してない場合もある。挑戦したけれど成立しなかったとか、成立したけれど継続できなかったとか。アイデアはあったけれど、そもそも挑戦していないということもある。

何と比べて、思いついた事業が新しいかどうかを判断するのかはわからない。ただ、先行事例があるのだから、それを学ばない手はないとも思う。どこかで躓いているのなら、全てを刷新する必要なんかない。躓いているポイントを修正することに意識を向けるだけ。それも、自社で完結させる必要なんて無い。というか、補完するサービスを展開するとか、サービスの改善を提供元に提案するとか、そういうアプローチだって良いわけだ。実現したい社会が同じなら、手柄を独占するよりも共創したほうが早い。

正確に情報を入れる。というのは、なるべく解像度高く観察するということ。そのためには、社会を観察するための知識と知恵がいる。そうしたところにアカデミック領域の知見が生きてくるのだろう。

今日も読んでくれてありがとうございます。ある程度は自分自身で学ぶ必要があるのだろうけれど、そこに集中しすぎてしまうと肝心の事業を遂行するエネルギーが足りなくなってしまうんだよね。それは、反省とともに実感している。人の手を借りるのが良いんだろうな。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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