今日のエッセイ-たろう

それって長いの?短いの? 2024年2月19日

菩提寺からの「お知らせ」で、徒弟(息子)が修行から戻ってきたと記されていた。うちは曹洞宗なので、僧侶の修行寺といえば総持寺か永平寺。3年半の永平寺での修行だったそうだ。

この3年半が長いのか短いのか、さっぱりわからない。という話になった。門外漢には分からなくて当然といえば当然だ。料理の修行に置き換えると、なんとなく短く感じるかもしれない。

例えば名店に修業に入って3年半だとして、独立して店を構えるというのならかなり早い。昔ながらの料理修行だとすると、追廻と呼ばれる下働きから始めて、技術を磨きながら勉強し、焼き方や揚げ方といった専門職を経てステップアップしていく。独立するのは、たいていの場合調理場の切り盛りを任される程度に熟達してからだ。

日本料理の修行のシステムが長すぎるのかもしれないし、現代的ではないといえばそうなのだろう。なんとなく比較すると3年半というのは短いような気もする。

比較対象を変えてみよう。例えば大学だ。大学は4年。半年の違いがあるが、修行の場合は夏休みも冬休みもないから、学びという意味では修行のほうが濃密な気がする。そもそも通うという感覚がない。朝起きた瞬間から眠りにつくまで、ずっと修行。典座教訓などにも記されているように、曹洞宗では食事の準備も掃除も全てが禅に通じるとされているから、全ての行いに精神的修練がついて回る。そう考えると、大学よりも長く仏門に向き合っていると言えるのだろう。

そもそも、比較することには意味がない。学んでいる内容がよくわからないでいるのだから、それは当然である。もし、「上手に経を唱えること」だけが習得科目なのだとしたら、毎日練習すれば素人でも1年もかからずに上達するだろう。経典の内容を理解し、自分なりに解釈を深めて、これから先の人生において更に深めていく基礎を作る。そういう視点にたつと、まだ本当に基礎の部分だけなのかもしれない。不立文字。あとは、実践の中でつかみ取りなさいということなのか。

ずっと前のことだけれど、料理人に修行は必要かという論争が盛り上がったことがある。ぼくは、短いに越したことはないという立場であるのだが、それも「なにを成したいか」によって解釈が異なるのだと思う。

寿司職人になってアメリカで寿司屋を開きたい。ここをゴールにするならば、修行は必要ない。今はお金を払って学ぶスクールが存在しているのだ。そこで学んだら、開業のための資金調達と営業を頑張れば良い。名店と呼ばれるようになりたいのならば、開業したあとにでもいくらでも学ぶことは出来る。本人にその気があれば、という話だけどね。

職人としてもっと成長して、名人と呼ばれるような人になりたい。名店と呼ばれるほどの店にしたい。そう願ったとき、修行は役に立つだろうと思う。すでに名店と呼ばれる店の内部に入って、どんな職人仕事をしているのか、食材の扱い、考え方、経営、集客などは、スクールではなかなか学べないからだ。よしんば学ぶことが出来たとしても、直感レベルまで感覚を研ぎ澄ませるには、体験というのは大きい。

登る山のどこを目指すかによって装備が異なる、というのがある。どちらが高いかどうかという議論ではないだろから、メタファーとしてはイマイチ。ただ、装備が異なるというのはそうだろうと思う。効率が良いかどうかと言い換えても良い。一人でも修行は出来るが、他店で修行しておいたほうが後の伸びが早いのは多くの事例が示す通りだ。

で、こんな話が出来るのは、ぼくがその業界に身をおいているから。短いながら修行経験もあり、先人である父と働いている。職人がどのようなステップで成長していくのかも、体が知っている。だから、きっとこうなんじゃないかと言えるのだ。1人の意見でしか無いのだけれど、門外漢の妄想ではない。

情報バラエティでもそうだし、飲み会なんかの雑談でもそうだけれど、門外漢が断定するのは無茶な気がするんだよね。

今日も読んでくれてありがとうございます。こちら側から見るとこんなふうに見えちゃうし、ぼくらの業界だとこうなんだけど、そちらではどうなの?というのをやってくれるのがテレビのコメンテーターなのかな。で、ああそうなんだ、となる。理解を助けてくれる役割なのかな。

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武藤 太郎

1988年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ、カルフォルニア州の大学留学。帰国後東京に移動し新宿でビックカメラや携帯販売のセールスを務める。お立ち台のトーク技術や接客技術の高さを認められ、秋葉原のヨドバシカメラのチーフにヘッドハンティングされる。結婚後、宮城県に移住し訪問販売業に従事したあと東京へ戻り、旧e-mobile(イーモバイル)(現在のソフトバンク Yモバイル)に移動。コールセンターの立ち上げの任を受け1年半足らずで5人の部署から200人を抱える部署まで成長。2014年、自分のやりたいことを実現させるため、実家、掛茶料理むとうへUターン。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務める。2021年、代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなどで活動している。

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